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そうめんの歴史

唐からの伝来
奈良時代の遣唐使が持ち帰った食物には、醤油、納豆、胡麻(ごま)油、唐菓子などがありました。この唐菓子の一つ、索餠(さくべい、さくへい、むぎなわ)が素麺の原形といわれています。

唐菓子には、その他粽(ちまき)、草餠、煎餠(せんべい)などもあり、現代まで引き継がれています。小麦粉や米粉に塩などを加えて練り合わせ、蒸したり、油で揚げたりして作り、仏前へのお供えとして、用いられていたようです。当時は、練ったものを引き延ばし、縄のように縒(よ)り合わせて乾燥したもので、長さが6~9cmでした。

平安時代の索餠
平安時代の書物「延喜式」や「天延ニ年記」には、索餠に関する記述がみられます。「延喜式」によると、宮中では毎日、天皇と中宮に索餠が出されています。その原料は、小麦、粉米、塩で、細くて長い索餠をつくっていたようです。

鎌倉時代に索麪へ
鎌倉時代には、宋で修行した栄西や道元によって、新しい製造技術が持ち込まれました。宋からの帰国後、建仁寺、永平寺を建立すると、寺を索麪製造所にしています。 その他、京都周辺では東福寺、醍醐寺、相国寺、奈良では興福寺でも製造が行われていました。この頃の製造方法は、麺生地に油を塗り、熟成させ、棒に掛けて引き延ばすという形に変わっており、現在の日本で行われているのと同じものが出来上がっていました。

室町時代に素麵へ
室町時代は、宋や元の文化や禅宗文化の影響を受け、和食(禅風食)が発達しました。公家の間にも素麵として広まっていきます。また、当時の文献からは、素麺屋なるものがあったこともうかがえます。

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