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播州のめんづくり

中世の播州素麺記録
播磨で最も古い素麺の文献は、奈良・法隆寺の末寺である揖保郡太子町鵤の斑鳩寺に残る「鵤庄引付」です。応永25年(1418)9月18日、鵤荘内での土地を巡る紛争に関して、寺が守護職の使いを酒と「サウメン」でもてなしたと記録しています。また、貢ぎ物として素麺を贈ったともあります。
このことより、六百年の昔から播磨地方において、素麺が食されていたことがうかがえます。
鳩庄引付(いかるがのしょうひきつけ)

江戸時代の播州素麺記録
山村家文書というものによると、宝永5年(1708)、当時の庄屋が病気になり、近在の70人から病気見舞いが届いたとき、そのうち10人が素麺であったと残されています。このころには、正月用の贈答、夏場の中元、暑中見舞いとして、素麺がよくつかわれていたそうです。また、素麺札(現在の商品券)も発行され、贈り物として使われていました。

そうめん造りが盛んになった理由
兵庫県南西部の播州平野を流れる揖保川は、水質の良さで知られています。流域一帯の伏流水は、カルシウムの含有量が1ℓあたり30~70mgと極めて少ない軟水で、この地方の手延素麺や淡口(うすくち)醤油の生産にかかせない水です。
また、揖保川流域には肥沃な農地が多く、小麦栽培が盛んでした。揖保川の西部には、塩で有名な赤穂もあります。
原材料である小麦、塩、水を好条件で手に入れることができました。
その他、製造期間である冬場に雨が少なく乾燥した日が多いということが製造上の利点であり、製品は揖保川の高瀬舟で瀬戸内海まで送り、その後帆船にて京阪神の消費地に輸送するなど条件が揃っていました。

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